『嫌われる勇気』を再読したら、自己肯定感が100倍高まった【感想】

人間関係の悩み

嫌われる勇気』という有名な本があります。

何年か前にベストセラーになり、さまざまなニュース、記事やブログでおすすめされていたので、

手に取った方も多いのではないでしょうか。

私も3年前くらいに購入し、読んだことがあります。

 

ですが、残念ながら当時は「なるほど。ふ〜ん」という感じで、

とくに心に響くことはありませんでした。

 

しかし、この度再び読んでみたところ、絵に描いたように感動してしまいました。

[st-kaiwa1]前読んだときとぜんぜん違う![/st-kaiwa1]

あまりに感動したので、その感想を書いていきたいと思います。

 

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嫌われる勇気とは

 

「哲人」と「弟子」が会話をしながら、「哲人」の唱える新しい価値観・考え方を弟子が学んでいくといった本です。

 

とくに納得したのは「承認欲求」についての部分です。

 

承認欲求は必要ない

承認欲求について、アドラーはこう言っています。

他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。

 

あなたは他者の期待を満たすために生きているのではないし、わたしも他者の期待を満たすために生きているのではない。他者の期待など、満たす必要はないのです。

 

たとえば一人で道のゴミ拾いをするとしましょう。そこで、他人の評価や賞賛を求めてしまう人はいると思います。

じゃあ、他人の評価が得られない場合は、ゴミ拾い(善い行い)をしないのか?

「しないかも…」と答える人は多いはずです。

 

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他人の目を気にして自分を押し殺す人生より、他人に嫌われてもいい人生

他人の目イメージ画像

「嫌われる勇気」では、他者の目を気にしながら生きる人生を徹底的に否定しています。

他者の承認を得るために「善行」をするのなら、他者が見ていないときは「しないのか?」となります。

他者はあなたの承認欲求を満たすために生きてはいないのです。

 

それに、他者の目を気にするということは結局、自己中心的な生き方でしかないからです。

 

他人の目を気にするのは自己中心的な生き方。自分は共同体の一部でしかない

他者の目を気にして生きることは、他者のことを考えているようで、実は自己中心的な生き方であり、

承認欲求を満たすというのも、まるで自分が世界の中心にいるような考え方です。

でも実際には、自分は世界の中心ではなく、共同体の一部でしかありません。

 

「人生のタスク」に立ち向かうこと

住んでいる場所

だから、その目的を果たすためにも仕事・結婚など…自らの「人生のタスク」に立ち向かうこと。

自分の足で立ち、自分の足で対人関係のタスクに踏み出さなければいけない。

「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ではなく、「わたしはこの人になにを与えられるか?」を考えなければいけない。

これによって、共同体の中での自分の居場所を作ることができるのだと、

そうすることで、自分の人生を満たしていくのだと、アドラーは言っています。

 

 

対人関係に悩まなくなる・『他者の課題』と『自分の課題』を切り分ける考え方

ストレス

『他者の課題』と『自分の課題』を切り分ける話は、とてもためになります。

職場や友達、家族など、あらゆる対人関係に悩んでいる方は、とくにこの部分を読むことを強くおすすめします。

 

人間関係のトラブルは、他者の課題に他者が介入するから起こる

他者の課題に他者が介入するから、トラブルになるのだ、とアドラーは言っています。

およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと——あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること——によって引き起こされます。

 

例・「宿題をしなさい」と怒る母親は放っておいてもいい

親とのケンカのイメージ画像

たとえばよくあることですが、宿題をしない子供に対して、

『宿題をやりなさい』と怒鳴る母親がいるとします。

 

でも、考えてみてください。

 

宿題をやらなくて人生に影響があるのは、母親でしょうか?

 

次の日、学校で困るのも子供。将来的に困るかもしれないのも子供です。

つまり、宿題をやるかやからないかは子供の課題ですよね。

 

親ではありません。

というか、親には関係のないことなのです。

それなのに宿題に関して、怒る母親。

 

いわゆるこれは、他人の課題に他人が介入している状況なのです。

 

結局は、母親も自分のエゴで子供に怒っているに過ぎない

手の画像

ちなみに、少し脱線しますが、私がオススメする本の中に、

マークトゥエインの『人間とは何か』があります。

マークトゥエインは「トムソーヤの冒険」が有名ですが、こちらは「嫌われる勇気」のような哲学系の本になります。難しくはないので、中学生でも読むことができると思います。

 

この本で訴えていることを一言でいえは、

『どんな善行でも、人は自分の精神を満足するために行動しているに過ぎない』

ということです。

 

ようはこの『宿題をしなさい』と怒鳴る母親も、宿題をしない子供がいるとイライラして自分の心の安定を保てないから怒鳴っているに過ぎない、ということになるのです。

面白いですよね。

アドラーの『課題の切り分け』について、「面白い」という人は、『人間とは何か』を手に取ってみてはいかがでしょうか。

 

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納得はできるが「うーん…」と思った部分

ただ、一つだけ納得はできるが「役には立たないな」と思う部分がありまして。。

それは最初のほうに書かれている、過去が現状をつくるのではなく、今の感情が今をつくるという話。

 

過去が現状を作るのではなく、今が今をつくる。

人というのは、今何かうまくいっていない事柄は、過去に原因があるとする場合が多いです。

たとえば、

  • 他者と良い関係が構築できない→子供の頃のトラウマが原因
  • 引きこもりになった→学校・会社で嫌なことがあった、親との関係が原因
  • うつ→仕事が原因

 

など。

しかし、アドラーはそれは違うと言っています。

  • 引きこもりになる→人と関わらないために、引きこもる。親の注目を集めたいために引きこもる。
  • うつ→会社に行きたくないから「うつ」になる

この考え方には納得はするし、私個人としては賛同もします。

 

ただ反面、この本の中で唯一、「どうでもいいな」と感じている部分なんです。

 

理屈としては正しいが、救いになるかどうか…

考える

なぜかというと、この考え方は現在苦しんでいる「引きこもり」や「うつ」の人を悪化させる考え方であるとは思うのです。

たとえば、もしこの本のこの部分を彼らが読んだとして、、

「じゃあ外に出るか」とはならないでしょう。

 

要は、今その状況に陥っている人達を、さらに塞ぎ込ませる考え方であると思うのです。

(もちろんこの本が、彼らを救うために書かれた部類のものではないことは承知です)

なので、これが真理だとしても「それで?」としか言いようがないわけです。

 

今、なに不自由なく健康に生きている人が、これから塞ぎ込みそうなことがあった場合、役に立つかもしれません。

でも現在、重症化している人が救われるかといったら、むしろ真逆。

彼らの心臓を突くような理屈であり考え方でしょう。

[st-kaiwa1]いわゆる強者の理論というか…。[/st-kaiwa1]

なので、納得はできるけれども「う~ん」となってしまうなと、私は思うのであります。

 

もう一度読んでみよう

読書はその時の自分が持つ価値観や状況によって、読んだあとの感じ方がまったく違ってきます。

以前に『嫌われる勇気』を読んだときの私は、何かしら人生経験不足だったのだろうな、と思います。笑

もし『嫌われる勇気』を一度読んではみたけど、あんまり響かなかったなーという方がいれば、ぜひもう一度読んでみることをオススメします。

自分に自信がない、世間の目を気にする…など、何かしらの悩みがある人なら、この本に大きく救われるかもしれません。

 

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